娘と私の合言葉。
——2020/8/25, 日記
わたしと1歳5ヶ月になる娘には合言葉がある。
それは「ヤイヤー」だ。
まだ50音のすべての音を的確に話せてない娘はところどころ音が同じように聞こえている、もしくは発音できない音があるようだ。
例えば、娘は「ゴリラ」は「ゴリア(と聞こえる)」と発音する。おそらくまだ聞き取りが完璧でないのが原因だろう。気持ちはよく分かる。
というもの、、、わたしも英語を永々の中級レベルから脱することができないビジネスマンではあるが、一応留学していたことはある。
理系の院生のときに留学したが専門の論文は読めても英語の発音はめちゃくちゃで、よく外国の人から発音を笑われたり、直された思い出がある。(言い訳っぽいが、わたしは日本語でも滑舌はさほど良くない。)
一度ホームステイのMotherからは「girl(女の子)」という単語を練習すると夕飯を食べてた際にお題が出て、なかなかキレイに発音できず、「ガール」「ギャル」「ガル」の応酬で夕飯どころではなかった。留学当初は「girl」がうまく聞き取れないし、なんとなく「ギャル」としか聞こえないのだ。
一緒にホームステイしている同時の高校生だった同じ縁の下で生活をともにした女の子は一発で「girl」が言えていた。大学院生が高校生に「girl」という発音で敗北感を覚えるなんて留学前は思いもしてなかった。そう、わたしは「girl」も言えない大学院生だったのだ。今でもわたしは「girl」という単語を、外国の方と話すときは、あの日の思い出とともに出来るだけ避けている。
話を戻すと娘の滑舌の悪さ、いや滑舌ではなく音を認識できていない、もしくは音を正しく発音できるフェーズに至っていない1歳5ヶ月の娘。
そんな娘にも、異様にテンションが高くなる時がある、その合図が「ヤイヤー」だ。
いつも行く公園で好きなブランコを見つけた時「ヤイヤー」
渓谷などで大自然に囲まれたときに言う言葉が「ヤイヤー」
なにか開放的な気持ちになったときに発せられる言葉が「ヤイヤー」なのである。この言葉は「ゴリラ」や「パンダ」、一番好きな動物である「フクロウ」よりもクリアに正確に発音される。
彼女の中で、もう1つ好きな言葉が「ワンワン」。
もちろん犬の意味で使われているが、たまに水族館で特定の「サカナ」を見ても「ワンワン」という。
仲の良いママ友に聞いたら「ワンワン」は万能語だから、よく使うよね、と言われたが、まるで意味がわからなかった。万能語??
我が家の「ヤイヤー」と「ワンワン」の関係性をお伝えするためにも、私の悩み『ベビーカー押し』を書かせてほしい。
新米パパから共感してもらえると嬉しいのだが、わたしはベビーカーを押している際、実は不安に襲われている。その不安は本当に娘はベビカーの中にいるのだろうか、疑問に思うところから始まる。
もちろん道路で左右の確認をしながら(けっこう心配性で安全性を重んじる性格がゆえ)ベビーカーを押している。にもかかわらず、娘の声もしない何も音もしないベビーカーとなると不安に襲われる。静かだけど本当にベビーカーに娘いるよね?本当にいるよね?どっかで落ちていなくなってないよね?大丈夫?そんな気持ちになる。(もちろんベビーカーのシートベルトは付けている)
うちのベビーカーはベビーカーの天井の傘のような部分が押し手側あり、娘も進行方向に座っているので後ろからは娘の様子が見えない。まさにTOPの画像みたいなベビーカーである。
そんなときは、わたしは娘にこうと問いかける。
「ヤイヤー」
すると娘は、ほぼ確実に「ヤイヤー」と返してくる。少なくても起きている間は「ヤイヤー」と返してくる。この返答があるおかげで、ちゃんと後ろからは姿は見えなけど、確実にベビカーの中に娘がいると、私の安心につながっている。
その日から、「ヤイヤー」は娘と私のお互いの「存在確認をできる言葉」として変わった。例えば、娘が嫁と風呂に入っている時、私がトイレに行こうと風呂の前の廊下を横切ると、娘から「ヤイヤー」と話してくる。
私も応えるように「ヤイヤー」と答える。この場合、
「ヤイヤー」(お父さんそこにいる?)
「ヤイヤー」(うん、いるよ)という意味だ。
ある時、私は「ヤイヤー」対して「ワンワン」と返答してみたこともある。
娘:「ャィャー」(小声)
私:「ャィャー」(小声)
娘:「ャィャー」(小声)
私:「ワンワン」(中声)
娘:「ヤイヤー!!」(大声)
娘は突然、私の「ワンワン」に対して「ヤイヤー」と大声で返答した。明らかに声のボリュームが上げての「ヤイヤー」だ。まるで怒っているかのような声量で、わたしは「えっ?」という感じで呆然とした。
どうやら、「ヤイヤー」は「ヤイヤー」で返さなくてはいけないルールのようなのだ。「ワンワン」はいくら万能語でも「ヤイヤー」に対しては、「ワンワン」で返してはいけない。
確かに
「おはよう」の返しは「おはよう」。
「おやすみ」の返しは「おやすみ」。
「ヤイヤー」の返答は「ヤイヤー」なのだ。
その点は娘の言い分は一貫していて、ルールというよりは会話の作法みたいなものだ。
この「ヤイヤー」使いの親子の会話は教育上いいのか、わるいのか、正直わからない。
少なくても嫁は、父と娘の「ヤイヤー」のやり取りには意味を見出していない。だが、いいのだ。「ヤイヤー」があることで堂々とわたしはベビーカーを押すことができるし、娘との合言葉としていろんなところで活躍する言葉だろうから。
いつの日か「ヤイヤー」が聞けなくなる日があるのかもしれない。それが半年後かもしれないし1年後かもしれない。その日が来るまで娘との「ヤイヤー」を楽しもうと思う。